京都医学史研究会 医学史コーナー 醫の歴史 ― 医師と医学 その9 ―

室町時代の医療(2)

前号の室町時代前期の医療については『 ふくでんほう 』(1365 年頃、南禅寺僧侶・有林編纂)を紹介しました。今号の中期は、庶民にとっては農業商工業など産業が発達して、その暮らしぶりは近世に向かって新たな展開を迎える時期でもありました。新しい文化の勃興、能・狂言・連歌・茶道などが生まれます。また鎌倉時代から好まれた「職人歌合」「職人尽絵」には様々な職人が登場しますが、そこに「 くすし 」(医師)が描かれています。現代では「医師」を「職人」と解釈することはありませんが、中世では医者は はりたて あん 相人にんそうみ うらない などと同様、職人の位置づけでした。しかし官医である てんやくのかみ やくいんのつかさ と同じく民間医にも本来は僧侶の位である ほういん ほうげん ほっきょう という称号を与え、権威付けをしていきます。

室町時代中期、15 世紀前半『 尺素往来せきそおうらい 』という民意上達指南書、啓蒙書が世に出ました。著者は一条 兼良かねら (1402 ~ 1481)で摂政関白太政大臣を務めた摂関家の公家です、しかも兼良は並みの政治家ではなく政治経済文化全般に図抜けた多彩な才能の持主でした。兼良の『尺素往来』は漢文で年中行事、祭礼、和歌連歌、漢書、天文、官位、仏教など様々な事項を行替えなしで 58 項目に分けて述べています。その中盤に医療医書、薬物に関する項があります。内容は

(一) 薬物:中国からの渡来薬品、 人参にんじん 龍脳りゅうのう 胡椒こしょう 縮砂しゅくしゃ 。良姜。 桂心けいしん 甘草かんぞう 川芎せんきゅう 大黄だいおう 辰砂しんしゃ など列記して高く評価しつつ、 牛膝ごしつ 香附子こうぶし 紫蘇しそ 朴厚こうぼく 白朮はくじゅつ 鹿茸ろくじょう などは日本産で献上するに及ばずと中国を礼賛しています。
(二) 医師必携道具:薬盤。薬 せん 薬研やげん 。薬臼。薬銚。 薬篩ふるい 砂鉢さはち を揃えてこそ医師である。
(三) 医書:前代同様『和剤局方』『千金方』など中国医学書を推奨。残念ながら『医心方』(丹波康頼)、『頓医抄』(梶原性全)『福田方』など日本人著述の医書は記載なしです。
(四) 当世必携薬物: 蘇合そごう 円。 至宝丹しほうたん 牛黄ごおう 円。 麝香じゃこう 丸。などは誰でも必ず持つべきと断言。
(五) 症状別薬物: 感応かんおう 円、金露円は吐瀉に、妙香円は霍乱に、 鬼哭きこく 散は瘧疾に、 五香連翹湯れんぎょうとう は腫物に効く
(六) 療病養生:病の治療に薬物とは限らず 按摩・針・灸など種々あり、雑熱や小瘡であれば 蛭飼ひるかい に勝るものはない、中風脚気は温泉療法が向いていると記して医療の項は終了しています。

以上、漢文で間断なく綴られたこの医療薬物啓蒙の項目が果たして庶民の現実の暮らしの役にたったかは疑問ですが、少くとも室町中期、15 世紀の医師たちが最低限、持ち合わせているべき医学レベル…欠如すると諸々に支障が起きる…を知ることが出来ます。当時、官医以外の医師には資格試験も免許も不要の時代ですから、医師は漢医書、漢薬、和薬の知識、所持すべき医療器具、薬種の大まかな効能を知悉することは重要事項でした。兼良は、特に「当世人々」を悩ませた 霍乱かくらん (呕吐下痢)、 ぎゃく 病(マラリア)、 そう しゅ 物(おでき、はれもの)、中風・脚気に効く薬剤を列挙して情報提供し、その上で常日頃誰もが常備しておきたい薬を記したのは、医者でも庶民でもない貴顕公家・一条兼良から当代の人々に贈った生命の自衛手段となる究極の生き残りメッセージだと思います。
(京都医学史研究会 葉山美知子)

2020年2月15日号TOP