勤務医通信

コロナに思う

国立病院機構京都医療センター 地域医療部長
瀬田 公一

  今回のコロナで感じたことをそこはかとなく書きつくります。

  1つめ,科学がこれだけ進歩しているのに,ホントに分からないことだらけなんだな~と改めて痛感。これは東日本大震災の際の福島第一原発事故の時も感じた。年間100mSv 以下の被曝の人体への影響は全く分かっていないのに,「年間被曝20mSv 以下なら子どもも安全に生活できる」と政府は明言。専門家と呼ばれる人々のなかでも賛否両論。科学は, 演繹学,帰納学,アブダクションに分けられる1)。そもそも医学を含む自然科学は帰納学の代表で,経験やデータの蓄積なしには何もわからない。若い医師には, セレンディピティ2)が大切!と,常に説いてはいるが,そうそう飛躍的な大発見はない。コロナでも,ウイルスゲノムの塩基配列や遺伝子産物の構造は解明できても,それらの知見からは,感染力や死亡率など本当に知りたいことは,何も導かれない。PCR 検査をどれだけ施行すべきかという問題ですら,専門家の中での意見はさまざまだ。不確実性の中での暗中模索だ。

  2つめはリスク認知。東日本大震災の時に津波警報が出ても逃げなかった正常性バイアス。コロナも当初は,従来のインフルエンザと同程度のリスクだと過小評価して,みんな楽観的だった。ところが,海外での死亡率の高さが知られるようになると,マスコミは恐怖や不安を過度に煽るような報道を始めた。原発事故後の原子力の危険性に関する誇張された記事が一部でみられたことと,どこか似たものがある。ヒトは,リスクの大きさをヒューリスティックスを用いて直観的に判断する。テレビやネットで重症例や死亡例ばかり取り上げられると,利用可能性ヒューリスティックによって過度の恐怖が生じる。寺田寅彦いわく,「ものをこわがらな過ぎたり,こわがり過ぎたりするのはやさしいが,正当にこわがることはなかなかむつかしい」3)

  3つめ,責任。自己責任という言葉が一世を風靡したのは,イラク邦人人質事件の時だと思う。2004 年4 月,イラクに入国した日本人がイラク武装勢力に誘拐され,自衛隊の撤退などを求められた事件だ。2004 年10 月に誘拐され殺害されたバックパッカーの遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」とのコメントを残した。今回のコロナでも,感染者は感染した責任があると責められ,謝罪を求められすらしている。そもそも責任とは何か?責任は自由と意思の裏返しだと考えがちだ。ところが,個人が意思に基づいて行動し,行為の責任はその個人が負うという近代個人主義社会の考えは間違っているそうだ。意思を有していたから責任を負わされるのではないらしい。「自由意志による行為だから責任が発生するのではない。逆に,我々は責任者を見つけなければならないから,(中略) 行為者が自由であり,意思によって行為がなされたと社会が宣言する」4)のだ。「人は能動的であったから責任を負わされるというよりも,責任あるものと見なしてよいと判断されたときに,能動的であったと解釈される」5)。読んでいる時はなるほどと感じるが,感情的にはなかなか納得できない。でも,まあ,最近よく言われる「多様性」とか「寛容」を大切にすることで心の平穏を得るもよし, ヒトには意思もなければ責任もないと理屈で理解することで心の平穏を得るもよし。なんであれ,こんな時代だからこそ, 穏やかな気持を保ちたいものだ。

  最後に。御多分に洩れず,頓挫してほったらかしていたカミュの「ペスト」を本棚か引っ張り出して,完読した。たくさんの感動的な文章の中から,グランについて。「彼はいつもの彼そのままの善き意思を持って,躊躇なく,『うん』といった。ただ,彼が望んだのは,ささやかな仕事で役に立ちたいということだけであった。(中略)『…現にペストってものがあるんですから,とにかく防がなきゃなりません,これはわかりきったことです。まったく,なんでもこれくらい簡単だといいんですがね。』」6) 

1)  米盛裕二 アブダクション 仮説と発見の論理 勁草書房
2)  モートン・マイヤーズ 小林力訳 セレンディピティと近代医学 独創,偶然,発見の100 年 中央公論新社
3)  寺田寅彦 小爆発二件 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2507_13840.html
4)  小坂井敏晶 社会心理学講義 <閉ざされた社会>と<開かれた社会> 筑摩書房
5)  國分功一朗 中動態の世界 意思と責任の考古学 医学書院
6)  カミュ 宮崎峰雄訳 ペスト 新潮文庫

Information
病院名 独立行政法人国立病院機構京都医療センター
住 所 京都市伏見区深草向畑町1-1
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2020年6月15日号TOP