京都医学史研究会 医学史コーナー 醫の歴史 ― 医師と医学 その10 ―

室町時代の医療(3) 

  <ポルトガル・キリシタン医師アルメイダのこと> 

  室町時代も後期、16 世紀になると日本では戦国乱世まっ只中ですが、世界史的には「大航海時代」にあたります。そこで今号では南蛮渡来の貿易商・宣教師・医師ルイス・デ・アルメイダについて述べたいと思います。

  ルイス・デ・アルメイダ(1525 ~1583)は今年度のNHK 大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀(1526 ~1582)と同じ時代を生きた西欧人です。

 彼はポルトガルの首都リスボン生まれ。1546 年、2年間の臨床医学教育を受け、21 歳でポルトガル王室秘書局から「外科医」の免許状を得ます。ところが2年後、1548 年に南蛮貿易に乗り出し、イン行き艦隊大型帆船でインド西部のゴアに向かいます。彼は南洋諸島の香辛料交易に従事して巨万の富を築いたといわれます。1552 年、第2次本伝道団メンバーの一員に加わりますが、布教活動に携わることはなく、3年間は再度交易に専念しました。南洋香辛料のしょう ちょう にくずく は西欧では原地価格の数十倍で取引され、交易仲介人(即ち、アルメイダたち)は「気が遠くなるほどの莫大な財産を蓄えた、そして現地の若い女性や奴隷を数十人囲い、日夜豪遊贅沢三昧の限りを尽くした」と記録されています。

 しかし、1555 年( こう 1) 再来日したアルメイダは、翌年イエズス会に正式に入会を許可され医療と布教活動と開始します。南洋交易で得た私財、約5千クルサド(銀8トンほどの価値)を全額会に寄付し、配属された府内(豊後・大分)の教会敷地内に孤児院と病院を新たに建てました。そこでは彼自らポルトガルで培った多少の西洋医術を駆使して医療活動を始めます。その治療に要する医薬品や医療器具を調達するために南蛮貿易で手にした膨大な資産を当てます。

 1557 年(弘治3)、長崎平戸に入港した南蛮船 は「香薬船(Nau das drogs)」と呼ばれ、その 船は小1年も前にリスボン港を出帆し、印度カン バヤの薬品及び南洋諸島の香料を積み、幾多の海 難事故を免れて中国の上川島、ランパコウ、 カオ 経由で長崎の平戸、横瀬浦にやってきた大型貿易 帆船(ナウ)です。アルメイダは患者用に チー 乾肉・乾パン、中国の漢方生薬、イエズス会報を 通して注文した医薬本・薬品・器具を購入します。 彼の府内病院は1556年から1560年まで大繁盛(但 し、無料)押し寄せる病人たちの病状は傷寒(急 性熱性疾患)、皮膚病、丹毒、腫物、切傷など多 様で こなぐすり こうやく を投じ、外科では切開焼灼、弓・矢・ 刀の疵治療として後世に影響を与えた銃創療法な どを施し、患者や医療従事者はその なお りの速さに 驚嘆したでしょう。これら画期的なポルトガル医 術はアルメイダの来日以来、多くの病人を救い広 まる機運にありましたが、欧州イエズス会本部 の「聖職者は人間の生命に直接関わる医療施術を 厳禁する」という通達が、1560 年(永禄3)7 月に日本に届きました。アルメイダはこの禁令以 降、4年に及んだ医療活動を停止、イエズス会開 拓伝道士として九州近畿を中心に布教を続け、そ の足跡は2万km を越えました。1582 年(天正 10)5月、天草河内浦で最期を迎えた宣教師アル メイダとは、16 世紀遥か西欧から戦国日本にやっ てきて、伝道と医療に身を捧げ、日本の地に骨を 埋めたキリシタン医師(58 歳没)でした。

(京都医学史研究会 葉山美知子)