投稿エッセイ 北山杉 出身地の堺市

木村内科クリニック 木村 進

 堺市は,もともと堺区に代表される旧市内があり,その地から泉北,美原地区へと広がった地域である。泉北の山あいを崩して,土砂を泉北臨海工業地帯に埋め立てた。昭和40年代の頃,トラックが山あいの土砂を積んで,何台も鳳地区から泉北臨海へ行き来した。高度成長期を代表する風景になった。大阪市とは大和川を境とし,それより南,高石市,松原市に隣接している。人口は現在では80万。
 私の実家は堺区にあり,昔から包丁作りの町,近くを商業地として,銀行,保険会社,スーパー,マンションなどビル群がある。真ん中にあるのが旧紀州街道。私は,夏には盆踊り,秋には布団太鼓,そういう町に育った。大阪を代表する公立小学校,中学校から,与謝野晶子出身の泉陽高校へ歩いて通った。ザビエルが訪れたと言われるザビエル公園,今はその地も整備されて,秋には堺まつりの会場になる。バザーや包丁販売,楽団も繰り出す。その北側にはステーキ店,タマノイの本社がある。紀州街道筋を阪堺軌道が走っている。桜の咲く頃には,花電車が走る。住吉から上町台地,さらに天王寺へと行く。私は阪堺電気軌道に乗って,天王寺へと大学に通った。電車が松虫あたりにくると急に車が混みはじめ,大学までの時間に常に焦った。大学とその病院は繁華街の中にあり,食べるところには苦労しなかった。学生の頃,年度末にはアポロビルの喫茶店にこもって,試験勉強会を仲間達とした。
 堺市の実家は,今は次女が住んでいる。銀行,スーパー,郵便局,コンビニ,なんでもあり便利である。この頃,近くに大きなイオンができた。開業地としては良くなったかもしれない。

2021年3月1日号TOP