2022年8月15日号
三幸会北山病院
谷川 徹
医師になり40年余,内科,精神科,その他でキャリアをほぼ3分割で過ごし,現在は精神科です。精神科病名はよく変わることもあり馴染みにくいとお感じのこともあるかと,今回は病名にちなんだ話をしてみることにしました。
現在ICD11の日本語訳が検討中です。大きくはDSM5の日本語訳と違わないだろうと予想されています。ところで,病名といいますが,精神科では“病”のつく疾患はうつ病くらいです。いや躁うつ病があるじゃないかとおっしゃるかもしれませんが今は双極症(双極性障害)です。“症”の字は正常(秩序)を表す“正”に病だれ,disorderの直訳になっています。そもそも日本語はimpairmentもdisabilityもdisorderも障害と訳してきていて問題でしたので,若干改善することが期待されます。
うつ病も本来抑うつ症とするべきなのでしょうが,一般に定着してしまっているのでうつ病となっているのだと思います。病名には正常機能+症のパタンと代表的症状+症のパタンが混在しています。認知症,神経発達症などが前者,パニック症,不安症,統合失調症などが後者です。
そもそも概念とかイメージは捕食活動の生じた5億4千万年まえ,カンブリア紀にさかのぼるということです。さかのぼり過ぎかもしれません。意識や時空が遠隔知覚と捕食運動によって生じたのですから精神科対象機能が誕生した時期ともいえます。これに比べて言葉は高々20万年~30万年前のホモサピエンス誕生を契機に生じたのですから画期的ですが同時に短い歴史しかないことになります。後からできた言葉であるのに,その抽象度が高まると概念の定まらない言葉の先行という現象や言葉による概念の制約のような逆作用が生じます。これが精神科病名でよく起こっていることかもしれません。
病名もそうですが,意味は運動にあります。あるいは運動可能性にあります。進化を通じて神経系の活動は主にその結果生じる環境への働きかけが成功するかどうかで淘汰されてきました。ですから,知覚・認知・思考・感情などの高次とされる神経活動もその意味は運動にどう繋がるかで決定されると考えられます。
これを病名に適応しましょう。病名は何に使うかということで意味を生じるからです。まず,一番大事なのは治療の適応と選択,予後予測と疾患理解などが中心であることは論を待たないです。そのほかにも当事者の理解,診断書作成,保険請求,統計,研究課題作成,などあり,その他もあることでしょう。コミュニケーションに齟齬を生じないためにはできるだけこれらが一致することが望ましいですが,現実には微妙に異なります。
一例をあげてみます。若い人が理由ない恐怖,思考の混乱など生じて統合失調症発症のハイリスク状態にあるとき,本人の苦痛もあれば脳炎などの鑑別を頭に置きながら,抗精神病薬での治療が行われます。統合失調症の診断は症状の出方や経過によりすぐには出せないわけで,それでも薬を出せば保険請求上は統合失調症の診断が必要です。本人には,統合失調症の診断は至らないが,アット・リスク状態である旨説明をします。この状態で大学に診断書を出す場合,分かりやすさを重視するか,決めつけによる起こるかもしれない不利益をさけることを重視するかは状況で判断せざるを得ないことになります。
精神科以外でも治療法や診断法の進歩で診断基準が変更され疾患概念が更新されていきますが,精神科での変化は画期的なマーカーや治療法の出現によっているのではなく,進歩や証拠の蓄積に基づきながらも,どのような同意を形成するかに拠っていることが多いのが第一の特徴です。医学が科学的でありたい反面,社会構成的な一面を併せ持つ例でもあります。もう一つの特徴は正常との間に移行があることが多い点です。科学的には線引きは不要ですが,医療的,社会的にはどうしても線引きを必要とするからです。
精神科に特徴的ではありますが,決して特異的ではなく,医学一般にあてはまることではないかと思われます。ご参考になれば幸甚です。
Information
病院名 三幸会北山病院
住 所 左京区岩倉上蔵町123番地
電話番号 075-791-1177
ホームページ https://www.sankokai.jp/group/medical_facility/kitayama