私の今までとこれからーふつうの小児科医から感染症医へ,そして…ー

京都市立病院 副院長(感染症科)
清水 恒広

 勤務医人生何が起こるかわからない。
 私は昭和57年(1982年)に大学を卒業しその大学の小児科に入局した。福井の病院で初期研修を開始し,故あってそこに3年間とどまる。その後京都の病院で3年過ごし,1988年から大学の血液腫瘍グループに属し大学院生活に入った。正味3年間で何とか仕事を終え大学院を卒業した。1992年に滋賀県の病院に1年赴任,すぐに大学に戻り,半年後米国に留学,白血病細胞株を用いた細胞死の研究に従事し3年後に帰国,帰国後2週間ほどで静岡の病院に赴任した。大学に戻り研究を続けたい気持ちもあったが医局の事情でかなわず,何とか小児血液腫瘍患者診療は続けていた。場所は変われどこのまま通常の小児科医として勤務医を続けるつもりでいたが,静岡では地震が頻繁に起こっていたこと,東海大地震に備えた病院での訓練が本格的なものであったため,身の危険を感じ教授に異動を願い出た。
 2001年,明治以来の伝染病病院が設立母体となっている京都市立病院に異動した。担当診療科は感染症科,私が部長,私以外のスタッフは消化器内科が兼職の医師のみで,私は小児科が兼職であった。感染症科とは名ばかりで,診療の95%以上,私は小児科診療,スタッフは消化器内科診療を行い,残り5%程度は院内の感染対策と,たまにやってくる輸入感染症(赤痢,腸パラチフス,コレラなど)診療で,当時はまだ2類感染症であったため,軽症でも入院勧告され収容した。着任後,感染防止委員会(当院の感染対策委員会)の委員長になっていることに驚き,あわてて感染対策の勉強を開始した。当時は米国CDCの手指衛生ガイドラインが世に出るところで,アルコール製剤の手指消毒薬が徐々に浸透し始めていた。
 着任以来さまざまな新興・再興感染症に遭遇し,行政からの要請もありその都度対応に追われた。2001年9月米国でのテロをきっかけに炭疽菌粉末を模した「白い粉」事件,2002年に中国で発生し2003年世界的流行を起こした元祖SARS(重症急性呼吸器症候群),2005年京都府内医療施設でのVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)感染拡大,2009年新型インフルエンザH1N1パンデミック,2015年デング熱,ジカウイルス感染症,2016年から麻疹,続いて風疹の再興,最後に,2020年年初から本格的に始まったCOVID-19流行と続いた。特に心に残るのは,2003年からのSARSと2009年インフルエンザパンデミック,そして今回のCOVID-19対応である。2003年SARS対応時に初めてPPE(個人防護具)の装備を考え,陰圧設定病室や前室の必要性を痛感し,新たな感染症病床の設計に生かした。現在のCOVID-19対応も,2003年に用いたPPEとほぼ変らず,患者収容も結核病床と感染症病床を合わせた感染症病棟で基本的に完結できている。
 一方感染症診療は着任当初ド素人であった。小児はともかく,成人の感染症には不慣れであり,教科書など片手に患者の相談に応じていた。転機は2005年であった。2004年から新しい研修医制度が始まり,その第1期生の中に,将来,感染症を診療や研究の主軸に据えたいと考えている極めて優秀な研修医がいたのである。後に彼が感染症科専攻医第1号となり,現在は某大学感染症関係部門の准教授を務めている。初期研修医2年目の彼が私の背中を押し,2005年12月から,院内の血液培養陽性患者,コンサルト患者などを対象に,細菌検査技師や薬剤師も加わり週2回の病棟ラウンドを始めた。多職種協働の先駆けであり,現在も継続している。実際の症例から学ぶことで感染症診療の知識経験が増えた。また,2006年よりHIV感染症診療を当科で開始し外来診療枠を獲得,さらに,一般の感染症診療のため外来枠も獲得しつつ,2013年には平日午前は毎日診療できるようになった。入院患者も2009年の新型インフルエンザ流行から右肩上がりで増加し,流行感染症以外のあらゆる感染症にも入院対応できるようにしている。着任当初ともに兼職の2人だけであったスタッフ数も,専任の常勤が4人から5人,時に1人から2人の専攻医が加わり,最近では2人担当医制を敷き,「働き方改革」にも留意してもらっている。
 2001年から2019年にかけて,診療の比重を小児科から感染症科へ徐々に移行させ,COVID-19流行が始まった2020年初めには,1:9程度の割合となっていた。2020年4月より現在の立場となり,医療安全を主軸に,感染管理と臨床倫理にも関わりながら,診療に当てる時間をさらに縮小しつつ新たに病院の運営・経営について学んでいるところである。自治体病院として政策医療を担いつつ,しかも急性期病院として歩んでいくために課題は多々ある。働き方改革,PFM(Patient Flow Management),DX,省エネ創エネ対策,建物改修などなど,頭を抱えている。体力,気力,知力が続くなら,もう少し先まで歩んでみたいと思っている。

Information
病院名   京都市立病院
住 所   京都市中京区壬生東高田町1の2
電話番号   075-311-5311(代)
ホームページ   https://www.kch-org.jp/

2022年11月15日号TOP