京都医学史研究会 医学史コーナー 醫の歴史 ― 医師と医学 その47 ―

⃝明治中期の医療(8)
 野口英世 その 14
 黄熱と格闘する英世
 今からほぼ 150 年前、19 世紀後半、日本は江戸封建時代に終止符を打ち、明治天皇(1876〜1928)を首長とする中央集権的近代国家の幕開けを迎えた。
 その頃、程なくして福島・猪苗代湖ほとりの片田舎・三城潟(さんじょうがた)で男児が誕生した。明治(1876)9年11月9日、貧乏百姓・野口佐代助(1851〜1928)と妻シカの長男・清作という、のちの英世である。
 この英世が、20世紀早々1900(12月)年に日本を見限り、己(おのれ)の可能性を太平洋を越えたアメリカに求めて身一つで(横浜港からサンフランシスコ港行の片道乗船切符とフィラデルフィアに行きつくまでの汽車賃と1日1食分にも充たない食費代と着替え下着1セットを使い古した小鞄(かばん)に詰め込んでいる)出奔(しゅっぽん)した、時に英世24歳。それから30年弱(じゃく)、アメリカ暮らしの末(すえ)に1928(昭和3)年5月21日、アフリカのアクラ(現ガーナの首都)で命を落とす、51歳。その間、英世が脚を踏み入れた国々を列挙してみる。

  • 1899年5月〜10月:英世23歳 日本国かペスト蔓延中の清(中国)・牛荘(ニューチャン)へ派遣され、その原因解明と予防対策
  • 1903年10月〜1904年9月:英世27歳 デンマーク・コペンハーゲン大学、マドセン博士のもとで血清免疫学研究のため留学
  • 1909年6月:英世33歳 アメリカ・ニューヨーク(N.Y)『蛇毒』出版(カーネギー学院より)
  • 1910年:英世34歳 『梅毒の血清診断』刊行(以後、原則NYマンハッタン居住)
  • 1911年:英世35歳 「梅毒スピロヘータ」の純粋培養に成功
  • 1913年8月:英世37歳 進行性麻痺及び脊髄癆患者の脳中にスピロヘータパリーダを検出し、梅毒スピロヘータが起因、証明
  • 1916年:英世40歳 ロッキー山紅斑熱とツツガムシ病の研究に取り組む。またパナマ運河開通(1914年8月)が契機となり、黄熱病の巣窟(そうくつ)とされていたパナマ国を視察。
  • 1917年5月〜10月:英世41歳 N.Yで生牡蠣(なまカキ)の暴食で腸チフスに罹患、危篤(きとく)状態。
  • 1918年7月〜11月:英世42歳 南米・エクアドル・グアナキル市へロックフェラー医研財団・黄熱病委員会調査団の一員として乗りこみ、7月24日市東北部・ルイス・ベルナサ病院にて黄熱病原体レプトスピラ・イクテロイデスを発見(しかし、後にこの病原体はワイル氏病原体と判明)
  • 1919年12月:英世43歳 この夏メキシコ湾に面するメリダは黄熱病の大流行に脅(おび)える、12月に現地入りした英世は死んだ豚の臓器からレプトスピラを発見
  • 1920年5月:英世44歳 フレキスナー博士にペルーの黄熱流行を沈静化に向ける要請を受けた英世は、ロックフェラー医研の後輩クリーグラー(1889〜1944)が首都リマから北方ピウラへ、そこから100km奥地のモロポン村に至り黄熱患者から採取した血液の培養基からレプトスピラ・イクテロイデスを発見したのを確認
    同年11月には再度メキシコ・メリダ調査なお1920年は英世3度目(1914年、1915年)のノーベル賞・医学生理学賞候補に挙がったが授賞には至らず

―以下次号―

(京都医学史研究会 葉山 美知子)

2023年4月15日号TOP