2026年1月15日号
京都第二赤十字病院 副院長・第一麻酔科部長
平田 学
体力の衰えが明白となる年齢が初老期の始まりであると,私は認識しています。奈良時代には40歳を指す言葉であったとされますが,平均寿命の延びにともない,現代では60歳前後と理解されることが多いようです。私は麻酔科医ですが,近年の麻酔関連薬剤の目覚ましい進歩を語るにあたり,初老麻酔科医としての経験が大きく役立つものと考えています。
すべての麻酔関連薬剤について言及することはできませんので,ここでは静脈麻酔薬に絞って述べます。私が麻酔科医となった1995年当時,静脈麻酔薬といえばラボナール®(一般名チオペンタール)がほぼ唯一でした。チオペンタールは比較的短時間で導入が可能で,脂肪・筋肉組織への再分布によって脳内濃度が低下し,速やかな覚醒が得られる特徴を持っていました。しかし過剰投与では脂肪に蓄積し,かえって覚醒が遅延するという問題がありました。またヒスタミン遊離作用を有するため,気管支喘息患者には使用できませんでした。
喘息患者の静脈麻酔導入にはケタミンを用いることもありましたが,麻薬指定であることに加え,悪夢などの精神反応を誘発することが多く,好まれませんでした。有害反応を抑制する目的で健忘作用を期待しジアゼパムを併用することもありましたが,多剤併用による薬理相互作用が複雑化し,覚醒遅延などの合併症を招くことがありました。ジアゼパム(代表的商品名セルシン®)は本来鎮静薬であり,単独で意識消失を得ることは困難で,吸入麻酔薬との併用が必要でした。その調整は煩雑で,臨床的には扱いにくい面もありました。
衝撃的だったのはプロポフォールの登場です。海外では1986年に上市されていましたが,日本での導入は2003年でした。迅速な導入が可能で,以降は急速導入においてチオペンタールに代わる存在となりました。急速導入とは,静脈麻酔薬と筋弛緩薬を併用する導入法を指します。さらにプロポフォールの優れた点は,維持にも使用できることでした。チオペンタールは持続投与による蓄積性のため維持には不向きでしたが,プロポフォールは半減期が非常に短く,単独で導入から維持まで行う完全静脈麻酔(TIVA)が可能となりました。術後の悪心・嘔吐を抑制する効果もあり,特にリスクの高い若年女性の麻酔管理に適しています。
ただしプロポフォールにも弱点があります。集中治療における長時間投与では若年者にプロポフォール注入症候群(PRIS)のリスクがあり,また原料に卵黄レシチンや大豆を用いているため,これらに明らかなアレルギーを有する患者には禁忌です。さらに高齢者や重症症例では呼吸・循環抑制が強く,導入直後に循環虚脱に至ることもあります。
この欠点を補うべく上市されたのが,ベンゾジアゼピン系のレミマゾラムです。プロポフォールやセボフルランなどの吸入麻酔薬,ベンゾジアゼピンはいずれもGABAA受容体に作用します。心筋にも脳と同様にGABAA受容体が存在し,プロポフォールはこれを介して心抑制をきたす可能性が指摘されています。一方,レミマゾラムは脳GABAA受容体への親和性は高いものの,心筋GABAA受容体への親和性は低いとされ,この特性が心抑制の少なさにつながっています。さらにレミマゾラムは半減期が短く,フルマゼニルによる拮抗が可能である点が特徴的です。臨床的に使用可能な静脈麻酔薬の中で,安全に拮抗できるという特性は画期的といえます。
静脈麻酔薬ひとつをとっても,この30年間で目覚ましい進歩がありました。初老麻酔科医としてはついていくのも容易ではありませんが,還暦という「二回転目の人生の始まり」を,過去の経験と未来の知見を収斂させる有益な通過点とし,今後の臨床に生かしていきたいと考えています。
Information
病 院 名 京都第二赤十字病院
住 所 京都市上京区釜座通丸太町上ル春帯町355 番地の5
電話番号 075-231-5171
ホームページ https://www.kyoto2.jrc.or.jp/