2020年6月1日号
今回,私は医事紛争担当理事に任命され,実に様々な案件を目にするにつけ,医療というもののもつ不確実性・リスクというものに対して改めて考えさせられることが多くなった。
そもそも医療行為は,未だ完全には解明されていないことの多い様々な疾病に対して人間が診断・治療を施すという,ある意味,非常に恐れ多いことをしているというのが正直なところであろう。現在行われている検査・治療は古くからの先人達の多くの発見や経験をもとにしたエビデンス,つまりは証拠に基づき行われているのであるが,治療を施される側の人間が其々の多様性を有しており画一的ではないため,確固たるエビデンスに基づいた治療をしたとしても結果も当然ながら多様性をもつこととなり, 想定外の事態が起こり不幸な転帰に至る例も一定の確率で存在する。医療者はこれを医療のもつ「不確実性」と呼び,ある意味避けることのできない不可抗力と考えるのであるが,一方治療を受ける側としては,この「不確実性」という言葉で片付けられることなど到底受け入れ難く,残念ながら状況により紛争事案に発展することもある。想定外のことは何も起きず,すべては予定どおり完了することが当然だと思う患者側と,一定の確率で発生する「不確実性」を認識している医療者側。この両者のスタンスの隔たりを考えると,医療者と患者との溝は永遠に埋まらないのではないかとさえ思えてしまう。
医事紛争案件には,明らかな過誤・過失によるものもあるが,むしろ多いのは,医療の不確実性からくる不可抗力に何らかの過失が内包されたような,解明の難しい事案が多いように思える。多くの医療者は,予期せぬ合併症や不慮の事態に対しても最大限の努力をもって対応するのであるが,残念ながら好転することなく終わってしまうこともある。そのような際に,最初は患者家族との間のほんの小さなボタンのかけ違いが,やがて大きな事案に発展することがある。医療者は一生懸命に診断・治療を施し, 患者・家族も受け入れて頑張るわけではあるが,それでもある一定数は結果が思わしくなく,場合により争いに発展してしまうことは非常に悲しいことである。医療者側の「不確実性」,「想定内の合併症」という言葉は患者側からすると空々しい医療者の言い訳にしか聞こえないのではないか。虚しいことだが,それが現実であろう。
そのような場合の最終的な拠り所は何かと考えるにつけ,やはり最後は人間対人間,つまりは医療者と家族がどれだけしっかり向き合い,事実を共有できていたか,要は「人間力」ということになってしまうのではないだろうか。実際,不幸にもトラブルになる案件については,それらがやや欠けていたと思われるものも少なくはない。
我々医療者は,あらためて真摯な態度で患者に向き合い,最大限の誠意・努力そして人間力をもって医療行為を行い,常に患者ファースト,患者愛を貫く姿勢を忘れてはいけないということであろう。ある意味,最終的には医療者としてできることはこれくらいしかないのかもしれない。
それと同時に必要なのは,医療というものにともなう不確実性,リスクに関して広く啓蒙することであり,どれだけ注意をしても一定の確率で予期せぬ事態が起こり得るという事実について,一般の方々にも理解していただくような活動が今後は求められるのではないだろうか。患者および患者家族との向き合い方について,改めて考える時期が来ているのかもしれない。
医事紛争担当になってつくづく思った次第である。