勤務医通信

私の災害

京都桂病院 若園 𠮷裕

 2024年は地震で始まりました。被害にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げますとともに,1日もはやい復興をお祈りいたします。今回は地震を中心とした災害の話題を徒然なるままに書かせていただきます。
 私がはじめて地震を大きく受け止めたのは1995年1月17日(火)5時46分に起きた阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)でした。マグニチュード7.3で神戸市など震度7を観測し広範囲に大きな被害が及びました。私は当時京都市左京区高野に住んでおり就寝中にかなり大きな揺れで目を覚ましました。当時はどこが震源地なのかすぐにはわからず,そのうちに阪神高速道路が倒壊している衝撃的な映像や神戸市内の建物の倒壊,長田区周辺の火災などが報道され,それが目に焼き付いています。次いでは東日本大震災です。これは2011年3月11日(金)14時46分に発生しました。この時は津波と原子力発電所事故が地震被害に加わり今も大きな影響が続いています。この時私はちょうど小児科医会の会議で府医会館におりました。移転直後の府医会館が長くゆっくりと揺れそれほど大きな地震が起こったとはわかりませんでした。帰宅後テレビの映像で津波が迫ってくる様子や建物の倒壊をみて大地震と認識しました。東北地方は大きな被害を受け,いまなお復興中の地域もあります。社会の防災意識も高まり,その年から本院でも12月の第1週に災害訓練を行うようになり,院内の飲料水や非常食の保管もはじまりました。
 その後2016年4月14日(木)21時26分熊本で最大震度7の地震が発生し,熊本城や多くの建築物の崩壊がみられました。次いで2018年6月18日(月)7時58分大阪府北部で最大震度6弱の地震が発生し,病院内に臨時災害対策本部を設置したことが思い出されます。続いて2018年9月6日(木)3時7分北海道胆振東部で最大震度7の地震が発生し道内全域が停電し大きな問題となりました。また今回過去の地震を調べてみて日本列島はなんと地震の多い国であるか再認識させられました。
 地震以外では台風の被害も記憶に残っています。2017年の台風18号は超大型の台風で京都を直撃し,帰宅困難者となった私は病院に泊まったことを思い出します。翌日帰宅(大阪府豊中市)すると停電しており2日間夜間は懐中電灯とろうそくの明かりを頼りに過ごし,電気・水道・ガスの供給が絶たれるとどれほど困るか身に染みて感じました。
 今回の能登半島地震では2024年元日の16時6分,10分,18分,56分に最大震度5強・7・5強・5強の地震が起きました。政府も石川県も非常にすばやく反応し,医療支援の対応もすばやいように感じました。阪神淡路大震災以降の多くの災害時対応策の蓄積により,格段に手際よく支援され,過去に検討された成果が実を結んでいるように見受けました。マスコミの報道だけは何か課題をみつけたいと思うのか批判的なことばも散見されましたが,今回の皆様の種々の支援とその迅速さは賞賛されるべきことと考えます。DMAT,JMAT,DPATをはじめDWAT,DHEAT,JRAT,JDA-DATと思われる方々の活動も見られ,非常に頼もしく感じられました。活動されている方々には心より敬意と感謝を表します。
 また本院の災害訓練は3年間COVID-19で休止していましたが今年度久しぶりに12月に実施しました。シナリオは震度6の地震が発生し本院のライフラインは大きな被害を受けていない設定で,医療を要する方々のトリアージや院内搬送ならびに各部署の被災状況の情報集約,各部署でのシナリオに沿った行動などを確認しました。3年間訓練を行えておらず忘れていることもあり訓練の重要性を痛感しました。
 京都市内の活断層による地震は花折断層などの東部の活断層と樫原・水尾などの西側の活断層を震源とし鴨川と桂川の橋梁は通行できなくなる可能性があり,東部にある病院同士,西部にある病院同士が支援しあう必要性と東・西どちらか一方の被害が甚大な場合,どのように支援しあうかなどを考えておく必要もあるかと思います。以上思いつくままに記しました。
 2024年1月19日

Information
病院名 京都桂病院
住 所 京都市西京区山田平尾町 17 番
電話番号 075-391-5811(代表)
ホームページ https://www.katsura.com/index.html

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