2026年3月15日号
洛和会丸太町病院
上田 剛士
近年,医療界においてもAIの存在感は急速に高まっている。診療支援,文献検索,記録作成など,AIはすでに日常診療の周辺に入り込み,「AI時代の医療」という言葉も決して誇張ではなくなった。こうした変化の中で,しばしば議論されるのが,医師の役割はどのように変わるのか,という問いである。
AIの利便性が注目される一方で,その弊害についても医学教育や臨床の現場で盛んに議論されている。とくに問題視されやすいのは,①AIに頼ることで知識が定着しなくなるのではないか,②AIが誤った判断を提示するリスクである。筆者の考えでは,これらの懸念は半分は妥当であるが,半分は本質を外している。問題はAIそのものではなく,それを使う側の学習態度や基礎知識にある。
「容易に得られた知識は身につかない」という指摘自体は,教育学的にも古くから知られている。しかし重要なのは,その回避策がすでに明確である点である。すなわち,理解し,意味づけを行い,自分の言葉で再構成することである。教育心理学では,これをDesirable difficulties(望ましい困難)と呼ぶ。筆者自身,最新論文をAIでクイズ形式に変換し,想起と再構成の機会を意図的に作ることで,知識の定着を図っている。AIは,使い方次第で学習を浅くする道具にも,深める道具にもなりうる。
AIの特性は,計算機に例えると理解しやすい。四則演算を理解しないまま計算機を使うことは現実的ではない。基礎的な計算能力があるからこそ,計算機は道具として機能する。一方で,計算機は入力ミスに弱く,桁違いの結果をもっともらしく表示することがある。AIも同様に,前提条件や文脈を誤れば,説得力のある誤答を提示する。だからこそ,人間による妥当性確認が不可欠であり,その前提として基礎知識が求められる。
「AIが医師に取って代わるのではないか」という不安も語られる。しかし,知識量でAIと競う発想自体が適切とは言えない。知識においてAIに勝る道理はない以上,問われるのは,AIの知識をいかに自らの臨床能力に上乗せするかである。医学の現場では,誤りがそのまま患者の不利益につながる。自分が理解していない医療行為を,AIが提示したからといって実行することは許されない。医師が培ってきた基礎知識・臨床知識こそが,AIを安全に活用するための最低条件である。
一方で,患者が自身の症状や経過を詳細にAIへ入力すれば,高い精度の鑑別診断が提示される可能性があることも否定できない。しかし,それでも近い将来にAIが医師と同等の診療を行えるようになるとは考えていない。診察には,「そうですねぇ」という一言にも抑揚や間,表情,視線といった,文字情報だけでは捉えきれない要素が溢れている。これらを総合的に解釈し,情報の重みづけを行う能力は,現時点では人間の医師に大きな優位がある。
また,外科手技や内視鏡,カテーテル治療など,熟練を要する医療行為を担っている医師にとっては,その技術自体がAIで代替できない大きな価値であることは言うまでもない。身体に直接介入する医療行為は,現時点でも,そしておそらく将来においても,人間の医師に固有の領域であり続けるだろう。
一方で,筆者自身は,そうした「これは自分にしかできない」と胸を張れる特別な手技を持っているわけではない。だからこそ,AIの進歩を理由に,医師としての基盤を軽視してはならないと強く感じている。患者と向き合い,丁寧に話を聞き,身体所見を取るという基本的な営みは,AIが直接担うことが本質的に困難である。AIに雑務や補助的役割を委ねる一方で,問診と身体診察という,すべての臨床の出発点を磨き続けられるかどうか。それこそが,AI時代に医師一人ひとりが問われている資質なのではないだろうか。
Information
病 院 名 洛和会丸太町病院
住 所 京都市中京区七本松通丸太町上ル
電話番号 075-801-0351
ホームページ https://www.rakuwa.or.jp/maruta/