地区だより

綴喜医師会

会長 村上  匡孝

 綴喜、昔の行政区“綴喜郡”からの名で「つづき」と読みます。平城京が築かれる奈良時代以前、天変地異とたたりを恐れてか代々の天皇は頻回に遷都していました。その頃の筒城(つづき)宮が今の同志社大学京田辺キャンパスのあたりに築かれたことがその名の由来です。昔の綴喜郡役所は田辺町(料亭Uの隣)にあり、法務局や保健所も私が開業した頃は田辺にありましたが、宇治に統廃合されました。綴喜の範囲は広く、北の八幡市、南の京田辺市、木津川を挟んで東の井手町、さらに東に山を越えた宇治田原町の二市二町からなり、東は滋賀県(甲賀市信楽町)、西は大阪府(枚方市)に接しています。会員総数は163名(管理会員88名、勤務会員69名、他6名、令和8年8月1日現在)ですが、井手班と宇治田原班は3名ずつ、残りが八幡班と京田辺班ほぼ同数で構成されています。
 同じ綴喜管内でも同じ市町の中でも地区地域によって人口構成も違えば医療機関・専門医の偏在や不足の問題など一括りにできない事情があります。高齢者が多い地域では在宅医療のニーズと重要度が増える一方で、少子化の世ながら松井山手地区と同志社山手地区には子どもが多く、診療・健診・予防接種に小児科の先生は忙しい。二市二町の行政との連絡会を定期的に行い、健検診や予防接種の相互乗入れなど医師会と行政との連携を密にして、八幡市と京田辺市の休日応急診療所には医師会員が出務しています。近年に三市町で首長の交代と庁舎の新築移転があったので、表敬訪問して首長と意見交換しました。
 医師会活動としては、住民向けの健康教室や会員医師向け勉強会である学術講演会(相楽医師会と共催)、医療・介護の多職種連携の会を定期的に行っています。市民向け公開講演会や、病院と共催での勉強会を積極的に企画し、不定期ながら歯科医師会・薬剤師会との三師会もあります。会員実地医家の発表の場である綴喜医師会学術集談会を8年ぶりに復活いたします。府医や保険医協会との懇談会、南部四地区懇談会のほかに、学研都市医療連絡協議会(枚方市、交野市、生駒市、奈良市、相楽、綴喜の各医師会)という地域独特の府県域をまたぐ意見交換の場もあります。
 次に、私の個人的な趣好と視点からの地区紹介を追加いたします。
1.鉄道
 八幡市には京阪本線、男山ケーブル、京田辺市には近鉄京都線、JR学研都市線(片町線)、井手町にはJR奈良線があり、京都、大阪、奈良と繋がります。列車からの車窓よりも外の風景から列車を観るのが楽しい。季節の咲く花越しに走る列車、川面に映える鉄橋の上を走る列車、煉瓦造りの水路(まんぼ)の下を通る列車など、絵になります。
2.川と歴史
 八幡、京田辺、井手に接する木津川は、古代から物、人、文化の流れに寄与しました。遺跡や古墳、奈良時代からの寺社や国宝、史跡が残っています。ほかにも、井手町は小野小町と橘諸兄(お墓もあります)、宇治田原町は柿本人麻呂伝説の猿丸神社、八幡市は国宝・石清水八幡宮、京田辺市は名刹一休寺があります。
3.山
 鉄道や川から離れた宇治田原には、「祈りの参詣道」山岳信仰の霊場・鷲峰山への登山道。天武天皇の伝承にまつわる旧跡散策の宇治田原歴史の道があります。
 井手町の山なら万灯呂山。山頂の展望台からは北は京都市南は関西学術研究都市を一望でき、眼前に広がる京田辺の夜景は日本夜景百選に選ばれました。
 京田辺市の山は甘奈備山。神が宿る山が語源で、平安京の造営時に南の甘南備山と北の船岡山を結ぶ線上に朱雀大路や大極殿が築かれたそうです。
 八幡市といえば男山。石清水八幡宮のお山ですが、エジソンが電球を発明した時のフィラメントにここの竹が使われたことが有名です。
4.茶と湯と酒
 「お茶の京都」の一翼。玉露の普賢寺(京田辺)、木津川畔や宇治田原の山の茶畑があります。名物の舞妓の茶。地元民が親しむ温泉(水春と一休)もあります。酒屋神社と佐我神社という酒にちなむ古社と神様はおられますが、お酒を醸す酒蔵は残念ながらございません。

綴喜医師会
〒 610-0331
京田辺市田辺 78 京田辺市保健センター内
TEL:0774-63-5323 FAX:0774-63-5323
e-mail :tsuzuki_ktb46@outlook.jp
会 長:村上 匡孝
会員数:163 人(2026.8現在)

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